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2013年7月6日土曜日

北上市内で散策(H24 8/14)

大沢温泉自炊部で連泊なので8/14は
どのようにすごそうかと思ったのですが、
北上市のさくら野百貨店で映画などをみてすごしました。

はるばる東北まで来て
自宅近くのショッピングセンターと大差ないようなすごし方です。
若かりし頃でしたら決して選択しないことですが、
温泉で一人でゆっくりしたいという目的でもあり
前の日までは移動ばかりでしたからこういうのもありと思います。


花巻駅までは宿の無料送迎バスでいけます。
そこから北上までは二駅で230円です。
とはいえ距離は12.5kmもあり、
大阪市内だったら10駅分にはなりそうです。


そこから暑い中10分ほど歩いてさくら野百貨店に行きました。
まず昼食をレストラン街にあるインド料理店で食べました。
インドの方がお店をやっているらしく
ちょっと接客などで危うい点がありましたが、
料理自体はなかなかおいしかったです。
はるばるインドから来てなぜ北上なのか?とは思いました。

それから映画をひとつみて百貨店内をうろうろして
携帯の充電が切れそうだったのでドコモショップにより
また電車に乗って花巻に帰りました。

一人で奈良で休日を過ごすとしても
こんな感じになると思うのですが、
今回は日程に余裕もありましたし、
旅先でゆっくり過ごすいい試みができたと思っています。
今年(2013年)は大沢温泉で3泊する予定なので、
また1日はこんな過ごし方をしようと思います。


宿に帰ってからはオリンピックをみながらのんびりです。
藤七温泉でテレビのありがたみを思い知りました。
みていなくてもテレビをつけっぱなしにしていると
なんか落ち着くというのはなぜなんでしょうね。

温泉巡りから田沢湖経由大沢温泉へ(H24 8/13)

宿で朝食をいただき料金を払い
秘湯を守る会のスタンプをもらおうとおねがいしたところ、
宿の人が「あれ?」と言って困っています。
前日に温川温泉でおしてもらった
スタンプの日付が1日分ずれていました。
じゃあということで藤七温泉の分は次の日にしてもらいました。
柔軟な対応ありがとうございます!


この日は八幡平から玉川温泉付近を経由して
田沢湖でレンタカーでを返し、
鉄道で花巻まで行く予定です。

この行程中にはたくさんいい温泉があるので
どこかで立ち寄り湯に寄ることを考えていました。

ふけの湯は2年ほど前にいったのでパスし、
後生掛温泉に行こうかと思いましたが、
駐車場に入りきらないほどの混雑を目の当たりにしてUターン
数年前にも同じように退散した覚えがあります。縁がないのか…

あとマイナーなところがいくつかあるのですが、
下調べをしていないのでパスして玉川温泉へ、
ここは強酸性の温泉です。
以前同系列の温泉でアトピーのところがひどく痛んだため、
入浴はパスして自炊部の佇まいを見学しただけにしました。
最近は肌の調子も良いのでいつかここも再訪したいと思っています。

で、結局どこにも入らないまま田沢湖近辺まで来てしまいました。
これではいけないので時間的に少し厳しいのですが乳頭温泉郷の
一番奥のほうの蟹場温泉に行きました。

ここの露天風呂は少し宿から離れたところにあり
森の真っただ中にお風呂だけありました。
他に人もいないので、別の温泉に行くことはやめて
ゆっくりつかることにしました。
この時期の日中の露天風呂はアブが気になることが多いのですが、
小雨が降っていたせいかほとんど出てきませんでした。


田沢湖町内でレンタカーを返して
駅まで送ってもらうとかなり雨が強くなっていました。

「こまち」で盛岡にでて花巻まで行き、
この日の宿の大沢温泉に行くだけです。
迷うことが多くて移動ばかりの一日になってしまいました。

2013年7月5日金曜日

三沢経由藤七温泉へ(H24 8/12)

この日はかなり長距離を走ることになります。
十和田湖畔から十和田市内を抜け
三沢市の資料館3つに行きました。

斗南藩記念観光村/三沢市先人記念館
一般的には3つの中で一番地味でしょうが、もっとも面白かったです。
日本初民間洋式牧場を開設したという
旧斗南藩出身である「廣澤安任」にスポットをあてています。

「ある明治人の記録」(中公新書版)を読み
会津藩から移ってきた人々の苦労は知っていましたが、
こういう場でしっかり展示物を読むと身につまされます。
苦しい境遇であろうなかでの偉業に喝采を送りたくなります。

歴史好きの人の中でも特に幕末は人気がありますが、
どうしても「負ければ賊軍」側に興味がいってしまいます。
ネクラだからかもしれませんが、
「坂本竜馬大好き!」みたいな人とは仲良くなれそうにありません。

今は大河ドラマ(八重の桜/新島八重)のおかげで
盛り上がっているかもしれません。
おもしろい企画展などあったらまた行ってもいいかな。


寺山修二記念館
文学関連の資料館は概ね面白く思うのですがここ正直いまいちです。
寺山修二の書いたものそんなに読んでないのですが、
これを機会に読みたいものでもできるかと思いましたがそうなりませんでした。
感性にあわないということなのかもしれません。

三沢航空科学館
前記二つの施設よりはるかに混雑していて駐車場もほぼ満車でした。
個人的には技術的なところの展示を期待していたのですが、
どちらかというと子供向けで料金も高かったです。まあ仕方ないですね。
ちょっと元を取るまでには至らなかったというケチな印象です。
敷地が広く遠くに展示してあった飛行機を
見に行くほどの元気もありませんでした。


八戸あたりから高速道路にのり、八幡平をめざします。
少し無理して遠くまで来たので150kmほど走らなければなりません。
この日は運転しづめで疲れていますが、頑張らねばなりません。

松尾鉱山の遺構をながめながら走り
八幡平山頂に程近い藤七温泉には
それほど遅くない時間についた覚えがあります。

ここは立ち寄り湯での利用はありましたが、
宿泊したのはこのときがはじめてです。
バイキング形式の夕食は特に山の幸がおいしかったですが、
少しにぎやか過ぎて一人ではすごしにくい感じがしました。
また、タイミングが悪いだけの話なのですが、
部屋にはテレビはなくオリンピックがみたかった…
今後は宿泊よりは立ち寄り湯でいいかなぁというところです。

2013年7月4日木曜日

秋田大学鉱業博物館から温川温泉へ(H24 8/11)

寝台特急「日本海」で9時過ぎに秋田着
コインロッカーに荷物を預けて秋田大学付属鉱業博物館に行きます。
阿仁鉱山の資料館の方に教えてもらって以来、念願の場所です。


近代化産業遺産の類は非常に興味をそそられます。
世の中には「廃墟」好きな人が結構いるらしいですが自分もそのクチです。
「鉱山マニアなんです」と友達に言っても絶句されてしまうのですが、
わかる人にはわかるでしょう。もっともわかる人は近くにはいません…

知らないのが普通ですが秋田県は鉱物資源の豊かなところです。
石炭ではなく銀や銅といった希少金属がとれる鉱山がたくさんあり、
阿仁、尾去沢、小坂、院内といった
鉱山の資料館はすでにいったことがあり、
ここが総仕上げという位置づけです。
前年に行こうと思ったのですが、改装中とのことでいけませんでした。

秋田駅からバスに10分ほど乗り、
汗をかきながら坂道を登り博物館に到着です。

もっとも面白かった3階で展示物を食い入るようにみていると
一時間ほど経過していてくたくたになりました。
階下のそれほどでもないところで時間を使いすぎました。
案内をみればわかりそうなものなのに失敗です。
是非また企画展などあるときに行きたいと思います。


秋田駅に戻り、特急「つがる」に乗り大館に向かいます。
お盆休みのピークだけあって入線前のホームに行列ができていました。
昨晩あまり眠れず睡眠不足のうえ大館からはレンタカーなので
やきもきしましたが、何とか通路側に座れて少し眠ったと思います。

駅から数分あるきレンタカーを借りて
十和田湖畔経由で今日の宿の温川温泉をめざします。

廃止になった小坂鉄道の線路跡をみながら走り
小坂町を経由して十和田湖に抜けます。
ここも鉱山で栄えた町で「小坂鉱山事務所」とう資料館や
郷土館は以前行ったことがあるのですが非常に面白かったです。
もう一度行ってみたいのですが
時間が厳しいので今回はパスして先を急ぎます。

発荷峠や湖畔の景色のいいところでとまりもせず
ひたすら走りこの日の宿の温川温泉温川山荘に到着しました。
ここも非常にお気に入りで何回でも泊まりたい宿です。

前回あまりに寒くて入れなかった露天風呂にはいり、
木のぬくもりの素晴らしい内湯にも入りました。
一般的に旅館の食事は量が多すぎて小食の自分としては
量を減らしてその分安くしてほしいといつも思っています。
ここは適量でごはんと味噌汁が美味しく
この点も気にいっている理由の一つです。

テレビでオリンピックをみながらのんびりして
この日は熟睡できました。

2013年7月3日水曜日

大阪府下うろうろ(H24 8/10)

この年の夏もに嫁の帰省にあわせて
自由時間を頂けたので東北に行ってきました。
困ったことに前日に嫁の実家に送る衣類などを宅配便で出すときに
家の玄関のまえで転び膝をけがしました。
少し深い傷で、後々温泉に入るときに難儀することになります。


スタートは大阪発20時38分の寝台特急「日本海」です。
しかし午前中に新大阪駅発の「さくら」で九州に行く
嫁子供を見送らなければならないので半日間が抜けてしまっています。
大阪駅から家までは1時間かかります。
往復するのも無駄なのでコインロッカーに荷物を預けて
時間をつぶすことにしました。
ところが8/10の大阪駅近辺は恐ろしく混雑していてコインロッカーを探すだけで
小一時間徒労を強いられることになります。

まず門真にある松下幸之助歴史館に行ってきました。
創業時の製品である電球用ソケットや自転車用ランプなど
大正時代から昭和初期の庶民の生活が垣間見えて非常に面白かったです。
特に、「ナショナル電気こたつ」(今で言うと電気あんかくらいかな?)
という製品のポスターが気にいりました。
電球のソケットを電源としてコードを伸ばして、
熱くなる部分を布団の中に入れる代物で、
少女が電球のソケットに接続している絵のポスターでした。
このころはいわゆる「コンセント」はなかったのでしょうか。
いかにも危なそうですが「二重安全装置 温度調節自在」なる
記述もノスタルジックです。

前後のスケジュールが厳しく髪を切る時間がなく、
どうしても床屋とお風呂に入りたかったので、
電車で10分程度の距離にある吹田市内のスーパー銭湯に行きいました。
マンガ読み放題の休憩コーナーがあり、
うまく体力を温存して時間を使うことができたのは幸いです。

駅の近くでスパゲティの夕食をとり、ようやく「日本海」に乗車です。
車掌のアナウンスでチケットは完売で寝台の変更はできない旨、
繰り返しアナウンスされていました。

寝台列車では眠れないことが多々あるので、
乗車までの「眠気マネジメント」が重要です。
翌日から車を長距離運転する必要もあることが多いのでなおさらです。
この日も相応に疲れてよく眠れるようスケジュールしていたのですが、
どういうわけかあまり眠れませんでした。
金沢までは確実に起きていて、
富山や直江津あたりは覚えていないので少しは寝たのでしょうが、
羽越本線内も眠れず暗い夜の日本海を眺めていた覚えがあります。

2013年7月2日火曜日

東北→関西復路の検討

嫁と子どもの九州からの帰りが8/15(木)で決定しました。
いろいろ話し合った結果、新大阪からの帰りはしんどいので
夕方5時頃京都に迎えにいくことになりました。

しかし15日まで大沢温泉自炊部は予約してしまっています。
したがって、宿を出て一目散に飛行機で関西に戻らねばなりません。
考えられるのは下記3通り。

JAL 花巻→伊丹
当然一番楽です。しかし現状買えるのは
先得割引の28500円のみです。
株主優待は18700円も満席


FDA 花巻→小牧
小牧から名古屋に出て近鉄特急に乗らねばなりません。
料金は今のところF1ドリームなる券種の21800円
新幹線だとかなり割高なので上記JAL便のほうがましです。
疲れるだろうし時間的にもハラハラしそうです。


JAL/ANA 仙台→伊丹
これは最後の手段です。
ANAの旅割+新幹線でも金額的には変わりません。
8/15だと東北新幹線も混んでいるだろうしだいぶ無理があります。


とりあえずJAL花巻→伊丹の先得割引は「○」印なので、
期限の28日前まで粘ろうと思いました。
JAL/FDAの他の安い券種がキャンセルが出る可能性もあります。


そして、昨日(7/1)の夜、帰宅後に調べるとJALの株主優待で
出てました。キャンセル。しかも5席も!
すかさず予約です。

そして購入までしてしまおうと思ったら
なんか株主優待券のコードをいれろと出てきます。
ん?なにそれ?そんなのあったっけ?
どうも今年に入り優待券が復活して以来そういう仕組みになったようです。
席数は限られるているし何かと使いにくくなっていますね。


今日(7/2)大阪のチケットショップで株主優待券買ってきて
予約と購入が完了しました。
7000円弱でしたがそれでも先得割引より3000円も安いです。

しかしこれで8/12以降の予定はほぼ決まりです。
前半が残っていますのでまだゆっくり計画を楽しもうと思います。


今日(7/2)にもう一度見てみたら、
株主優待のところは「△」マークになっていました。
またキャンセルが出たみたいです。
来年以降もこのパターンは使えそうです。
満席でもあきらめないこと。

寝台特急「日本海」のこと

大阪発青森行きですから、
関西在住の東北好き列車好きには最適の手段でした。
運行している間は毎年でも乗ろうというくらいの気概でいました。

一番最初に縁があったのは平成18年ころ。
大館→弘前間(ちょっとうろ覚え)だけちょっと乗ったものです。
寝台列車ではあるが朝の一定の時間を過ぎると
自由席特急券で乗れる制度を使いました。
空いていたしB寝台の下段で足を延ばして座っているといい気分で、
普通の特急電車よりよほどいいと思いました。


「ちゃんと」最初に乗ったのは平成21年の冬、大阪→青森のの全区間です。
寝台料金のみで10500円するA寝台下段を奮発しました。
すでにこの頃には個室でないA寝台(開放式というらしい)を
連結しているのはこの列車だけで、
この機会を逃すと一生この形態の寝台には
乗れないなと言うことでの決断です。
その時の寝台特急券は大事に机にしまってあります。

大阪を6時前に出て青森に9時前につく
15時間の長丁場でしたが退屈した覚えはありません。
すでに社内販売はなくなっており、
大阪駅でいろいろ買い込んでから乗車しました。

金沢に着くまでに同じ特急の「サンダーバード」に
二回くらい追い越されたような気がしますが、
もう達観していて、そんなに急いでどこに行くみたいな気分でした。

道中はよく眠れて(ちょっともったいない気もしました)、
起きるとすごい大雪の中を走っていました。
寝台に座ってぼんやり雪景色みて遠くに来たことを実感していました。
「きたぐに」の下段は座ると頭がつっかえるので
それに比してかなり楽だった覚えがあります。


それから平成22年の夏、臨時列車となった平成24年の夏に
いずれも大阪→秋田の区間でB寝台に乗りました。
どういうわけかこの二回はあまり眠れず
通路に設置されている折り畳み式のベンチに座り
羽越本線に入った後の暗い日本海を眺めていた覚えがあります。


子どもの頃から憧れていた寝台列車ですが、
相応に乗ることができるような財力と時間ができたころには
需要も供給も完全に衰退した後でした。
車両も老朽化していて、外板は波打ち錆びも目立ちなんとも哀れな感じ。
車内も読書灯がつかなかったり、あまりトイレなどは使いたくないものでした。

それでも最終盤に数回乗ることができて幸せだったと思いたいです。
「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」、
今年の秋に運行開始の「ななつ星」といった
「乗ること自体」が目的になる列車は楽しそうですが、
ちょっと別物の様な気がします。

個人的には「サンライズエクスプレス」のようなものが増えてほしいです。
ツアーバスも規制強化で遠距離路線は難しいらしいですし、
JRも考え直してくれないかと期待しています。

2013年7月1日月曜日

福井→東京:紀伊半島一周経由(昭和60年くらい)

これは多分中学生の頃だったと思います。
一人で行ったのか家族で行ったのかは覚えていませんが
とにかく両親の実家に行き東京に帰る過程で
紀伊半島をまわって遠回りをしていきました。
写真も残っていませんし季節も思い出せません。


叔父に岐阜県の白鳥まで送ってもらい
越美南線(今の長良川鉄道)、太多線を経由して名古屋に出てました。
そこから紀勢本線で紀伊半島をぐるっとまわり、大阪の天王寺に着きました。
当時はなぜか憧れていた初めての大阪です。

新宮からは夜行の鈍行列車でした。
昭和58年までは「はやたま」という名称がついた寝台車まで連結した
不思議な鈍行列車でしたが、この時は座席車ばかりの編成でした。

覚えているのは新宮の駅で
当時新発売だったかた焼きそばの様な
カップめんの様なものを食べたこと
天王寺のホームで食べた立ち食いうどんがおいしかったことくらいです。


ここまで全部鈍行列車なのですが、国鉄に関しては全く切符を買った覚えがないので、
「青春18きっぷ」を使ったのだと思います。
どのように1枚か2枚だけ手にしたのかがわかりません。
兄が数枚使って残りをもらったのではないかと思います。
今は一枚の切符にスタンプを押していく形でしたが、
当時は5枚1冊の形式でしたからばらばらにしやすかったのです。


その後、鶴橋まで行き近鉄特急で名古屋に行きました。
このごろは毎月のように乗っている近鉄特急もこの時が初めてでした。

名古屋で半日くらいどこかで時間をつぶして
夜行高速バスのドリーム号で帰りました。

とっとと新幹線で帰ればいいのですが、
なにか惜しいという気持ちがあったのでしょう。
普通列車を乗り継ぐとか中央本線経由で帰るとか、
いろいろ思案した挙句の結論だった覚えがあります。
バスがダメだったら、大垣発の夜行鈍行列車で帰ろうとしていました。


切符は名古屋についてから買ったのですが、
最初満席ですと言われて困った顔をしていると
窓口のおばさんが「あっ一席だけあるよ」といって売ってくれました。

しかし指定された席にいってみると既に座っている人がいて、
車掌か運転手に話すとすぐ別の席に案内されました。
あれは重複して切符が発行された時に
どのように処理されるのかを知っていた
窓口のおばさんの親切だったのかも知れません。


特にどこを見学したわけでもなく
ただ列車に乗っていればよかった頃の記憶です。
よく考えると二泊夜行列車で、
風呂にも入った覚えもなく恐ろしいものです。
今実行したら発狂することでしょう。

2013年6月30日日曜日

急行「きたぐに」のこと

2012年の春に定期列車としての運転を終了し、
2013年の年始を最後に完全に廃止された急行「きたぐに」ですが、
関西に住むようになった2003年以降ずいぶんお世話になりました。

伝統のある急行列車で昭和57年までは大阪と青森を結んでいました。
過去には北陸トンネル内で火災事故をおこしたこともあります。


最初に乗ったのは確か高校生の頃です。
当時は関東在住でしたがどういうわけか新潟に一人旅にでて、
帰りに新潟→直江津間に乗りました。

その後は急行「能登」にのって帰ってきたのですが、
夜中に夜行列車を乗り継ぐなど今ではとても考えられません。
体力的にもそうですが、夜行列車自体がほとんどなくなってしまいました。
お金のない学生ですから寝台車ではなく座席でした。


その次はもう関西に引っ越して以降で、
たぶん5回は乗っていると思います。

そのうち2回は往復「きたぐに」利用の新潟弾丸一人旅でした。
行きは座席で長岡まで行き、温泉、博物館などいって
その日の夜、寝台で爆睡して帰ってきたのですが、疲れがひどく、
翌日は使い物にならず嫁に揶揄されました。

他は東北に行くときに使ったのが主ですが、
朝早く新潟につけるというのは充分な利用価値がありました。

583系という車両が使われており、寝台は3段でした。
これがまた不平等で有名でして、
下段は幅も広く高さも半分くらい使用して悠々とできるのですが
中下段は残りをわける形で起き上がることもできないくらいです。

ちなみに寝台料金は下段が6000円、中上段が5000円です。
ほとんど下段をとることができたのですが、
一回だけ上段になってしまったことがあります。
かなり狭くて難儀しましたが、案外よく眠れた覚えがあります。


そういえば昨年非常に珍しいことに新潟に出張する機会があり
もしも「きたぐに」が定期列車で残っていたら
往路か復路どちらかで利用していただろうにとおもって悲しくなりました。

寝台の下段は広いので子どもと二人で乗って
昔の電車の思い出を残させることを夢見ていたのですが、
重ね重ね残念です。