当時の北陸本線では旧型客車を機関車が牽く列車が健在でした。
上野駅でもほとんど見ることができなくなっていたはずで、
懐かしく思いながら乗りました。
青やこげ茶の車両が5両か6両はつながっていたと思うのですが、
乗客は少なく、1車両に数人しか乗っていなかった覚えがあります。
やはり淘汰されるべき非効率なものだったのでしょうか。
ドアは手動で走っている最中でも普通に開いています。
福井駅では停車する直前に飛び降りたりしました。
幼いころ兄がやっていたことを真似したくなたのです。
速度が落ち切らないところで飛び降りてしまったので、
転んで、ケガをするほどではなかったのですが
駅員が飛んできてかなり厳しく怒られました。
トイレはただ穴があいているだけの代物で
覗いてみると枕木とバラストが代わる代わる流れて行きます。
北陸トンネルに近づくとトンネル内では
トイレは使用しないようアナウンスが流れました。
車内はやや暗く扇風機が回っていました。
ただ、このころの夏は今ほど厳しい暑さではなかったと思います。
窓を思いっきり開けていれば充分涼しくて
冷房付きの電車よりも気持ちよかったくらいです。
石川県の金沢と小松の中間くらいに美川という駅があり、
乗っていた鈍行が特急の通過待ちで数分停車しました。
すると一切の音がなくなり人家のまばらな田園地帯の静寂が訪れました。
ホームに降り立ってぼんやりしていると
やがてレールが鳴り出し、遠くから機械音が響いてき
特急が轟音を立てて通過して行きました。
眩しい夏の日の光景が今でもはっきり思い出されます。
数年前通りかかる機会があったので注意してみていましたが、
ちょっと新興住宅街のようになっていてがっかりしました。
2013年7月9日火曜日
北陸本線右往左往:昭和50年代後半
小学校4年生で一人で福井の両親の実家に行ったのですが、
従兄弟や親戚とは遊びもせずに、
周遊券を使ってひたすら鉄道に乗っていました。
その後も数回一人で行きましたが、似たようなことをしていたはずです。
現在の北陸本線は特急と鈍行しか走っていませんが、
このころは特急、急行、快速、鈍行とバラエティ豊かでした。
当時のワイド周遊券では特急には乗れないので、
主に急行に乗って周遊券の範囲の目いっぱいの
糸魚川から敦賀まであちこちいきました。
行ったといっても駅でスタンプを押すくらいで観光等は一切していません。
本当にそのころは列車にのって
車窓を眺めているだけで充分満足だったのです。
糸魚川に行くためには福井から急行「くずりゅう」にのり、
金沢で急行「白馬・しらゆき」というディーゼル急行に乗り換えます。
夕食の時間までには帰る必要があるので、
行って帰ってくるだけで何もしていません。
ちなみに「しらゆき」は金沢発青森行きの急行で、
12時間走りとおす今となっては信じられない列車でした。
併結していた「白馬」も金沢発大糸線経由松本行きで、
いまひとつ趣旨不明な急行でした。
北陸本線だけではなく、周遊券の範囲内のローカル枝線も乗りました。
乗ったのは城端線と氷見線、
今は富山ライトレールとなっている富山港線です。
ほとんど記憶は残っていないのですが、
富山港線の電車は大都市で使い古された国電の古い型でした。
写真で残っていて何回も見たので憶えています。
今度実家に帰ったら探して見つかったらこのページに掲載しようと思います。
(文字ばかりのブログですみません…)
従兄弟や親戚とは遊びもせずに、
周遊券を使ってひたすら鉄道に乗っていました。
その後も数回一人で行きましたが、似たようなことをしていたはずです。
現在の北陸本線は特急と鈍行しか走っていませんが、
このころは特急、急行、快速、鈍行とバラエティ豊かでした。
当時のワイド周遊券では特急には乗れないので、
主に急行に乗って周遊券の範囲の目いっぱいの
糸魚川から敦賀まであちこちいきました。
行ったといっても駅でスタンプを押すくらいで観光等は一切していません。
本当にそのころは列車にのって
車窓を眺めているだけで充分満足だったのです。
糸魚川に行くためには福井から急行「くずりゅう」にのり、
金沢で急行「白馬・しらゆき」というディーゼル急行に乗り換えます。
夕食の時間までには帰る必要があるので、
行って帰ってくるだけで何もしていません。
ちなみに「しらゆき」は金沢発青森行きの急行で、
12時間走りとおす今となっては信じられない列車でした。
併結していた「白馬」も金沢発大糸線経由松本行きで、
いまひとつ趣旨不明な急行でした。
北陸本線だけではなく、周遊券の範囲内のローカル枝線も乗りました。
乗ったのは城端線と氷見線、
今は富山ライトレールとなっている富山港線です。
ほとんど記憶は残っていないのですが、
富山港線の電車は大都市で使い古された国電の古い型でした。
写真で残っていて何回も見たので憶えています。
今度実家に帰ったら探して見つかったらこのページに掲載しようと思います。
(文字ばかりのブログですみません…)
2013年7月8日月曜日
初めての一人旅:福井へ(S56夏)
初めて一人旅のようなものをしたのは
小学校4年生のとき両親の実家の福井へ行ったときです。
北陸ワイド周遊券を使っていきました。
乗った新幹線は「ひかり111号」でなぜか明確に覚えています。
博多行で新大阪以降は各駅停車だったと思います。
東京駅に行くと新幹線は見慣れた青とグレーの座席ではなく
オレンジに黒い縦じまの入ったものでした。それだけで興奮しました。
ちょうどこのくらいの頃から内装が変わったのだと思います。
ただし3人がけの列は回転できなくて、
車両の半分を境に後ろ向きに固定されていたと記憶しています。
新幹線の車内で自宅に電話をかけようとしました。
どうも自宅は不在だったようで数百円投入したので
どうなるのか心配で交換の方に聞いたら
「大丈夫ですもどりますよ」といわれたのを憶えています。
電話をしたのは別に心細かったわけではなく
ただ新幹線から電話をしてみたかっただけです。
名古屋からは特急「しらさぎ」で福井まで行きます。
乗換の名古屋の駅は大きかったですが
特に迷うこともなく不安になった覚えはありません。
米原で進行方向が変わるのですが、
皆さん声を掛け合って席を回転させたのを覚えています。
こういう光景は最近ないようで
先日も秋田から「こまち」に乗ったのですが、
大曲まで皆さんおとなしく進行方向に背を向けて座っていました。
福井駅についてもう一度公衆電話で自宅にかけました。
通じはしたのですが数秒で切れてしまい何も話せませんでした。
10円玉をたくさん入れておくという方法を知らなかったためです。
結局30円くらい使って不首尾に終わったはずです。
両親の実家に行ってからは
従弟などとは遊ばず一人で鉄道に乗りにいっていました。
周遊券があったからいくら乗っても追加でお金はかかりません。
このときかどうかは忘れましたが糸魚川までいった覚えがあります。
親類からは「大きな時刻表を抱えて
いつのまにかいなくなっている奇特な子」と
いわれていて今おもえば申し訳ないような気がします。
数年前に法事で福井にいったところ、
「あの一人遊びの子か」と言われて根深いものだと思いました。
帰ってきてから夏休みの宿題で一人旅のことを書きました。
4年生で一人で東京から福井まで行ってしまったのは
ある意味マズいかと思ったのですが、先生は褒めてくれました。
クラスの皆に地図を開かせてルートを発表する羽目になりました。
小学校4年生のとき両親の実家の福井へ行ったときです。
北陸ワイド周遊券を使っていきました。
乗った新幹線は「ひかり111号」でなぜか明確に覚えています。
博多行で新大阪以降は各駅停車だったと思います。
東京駅に行くと新幹線は見慣れた青とグレーの座席ではなく
オレンジに黒い縦じまの入ったものでした。それだけで興奮しました。
ちょうどこのくらいの頃から内装が変わったのだと思います。
ただし3人がけの列は回転できなくて、
車両の半分を境に後ろ向きに固定されていたと記憶しています。
新幹線の車内で自宅に電話をかけようとしました。
どうも自宅は不在だったようで数百円投入したので
どうなるのか心配で交換の方に聞いたら
「大丈夫ですもどりますよ」といわれたのを憶えています。
電話をしたのは別に心細かったわけではなく
ただ新幹線から電話をしてみたかっただけです。
名古屋からは特急「しらさぎ」で福井まで行きます。
乗換の名古屋の駅は大きかったですが
特に迷うこともなく不安になった覚えはありません。
米原で進行方向が変わるのですが、
皆さん声を掛け合って席を回転させたのを覚えています。
こういう光景は最近ないようで
先日も秋田から「こまち」に乗ったのですが、
大曲まで皆さんおとなしく進行方向に背を向けて座っていました。
福井駅についてもう一度公衆電話で自宅にかけました。
通じはしたのですが数秒で切れてしまい何も話せませんでした。
10円玉をたくさん入れておくという方法を知らなかったためです。
結局30円くらい使って不首尾に終わったはずです。
両親の実家に行ってからは
従弟などとは遊ばず一人で鉄道に乗りにいっていました。
周遊券があったからいくら乗っても追加でお金はかかりません。
このときかどうかは忘れましたが糸魚川までいった覚えがあります。
親類からは「大きな時刻表を抱えて
いつのまにかいなくなっている奇特な子」と
いわれていて今おもえば申し訳ないような気がします。
数年前に法事で福井にいったところ、
「あの一人遊びの子か」と言われて根深いものだと思いました。
帰ってきてから夏休みの宿題で一人旅のことを書きました。
4年生で一人で東京から福井まで行ってしまったのは
ある意味マズいかと思ったのですが、先生は褒めてくれました。
クラスの皆に地図を開かせてルートを発表する羽目になりました。
2013年7月1日月曜日
福井→東京:紀伊半島一周経由(昭和60年くらい)
これは多分中学生の頃だったと思います。
一人で行ったのか家族で行ったのかは覚えていませんが
とにかく両親の実家に行き東京に帰る過程で
紀伊半島をまわって遠回りをしていきました。
写真も残っていませんし季節も思い出せません。
叔父に岐阜県の白鳥まで送ってもらい
越美南線(今の長良川鉄道)、太多線を経由して名古屋に出てました。
そこから紀勢本線で紀伊半島をぐるっとまわり、大阪の天王寺に着きました。
当時はなぜか憧れていた初めての大阪です。
新宮からは夜行の鈍行列車でした。
昭和58年までは「はやたま」という名称がついた寝台車まで連結した
不思議な鈍行列車でしたが、この時は座席車ばかりの編成でした。
覚えているのは新宮の駅で
当時新発売だったかた焼きそばの様な
カップめんの様なものを食べたこと
天王寺のホームで食べた立ち食いうどんがおいしかったことくらいです。
ここまで全部鈍行列車なのですが、国鉄に関しては全く切符を買った覚えがないので、
「青春18きっぷ」を使ったのだと思います。
どのように1枚か2枚だけ手にしたのかがわかりません。
兄が数枚使って残りをもらったのではないかと思います。
今は一枚の切符にスタンプを押していく形でしたが、
当時は5枚1冊の形式でしたからばらばらにしやすかったのです。
その後、鶴橋まで行き近鉄特急で名古屋に行きました。
このごろは毎月のように乗っている近鉄特急もこの時が初めてでした。
名古屋で半日くらいどこかで時間をつぶして
夜行高速バスのドリーム号で帰りました。
とっとと新幹線で帰ればいいのですが、
なにか惜しいという気持ちがあったのでしょう。
普通列車を乗り継ぐとか中央本線経由で帰るとか、
いろいろ思案した挙句の結論だった覚えがあります。
バスがダメだったら、大垣発の夜行鈍行列車で帰ろうとしていました。
切符は名古屋についてから買ったのですが、
最初満席ですと言われて困った顔をしていると
窓口のおばさんが「あっ一席だけあるよ」といって売ってくれました。
しかし指定された席にいってみると既に座っている人がいて、
車掌か運転手に話すとすぐ別の席に案内されました。
あれは重複して切符が発行された時に
どのように処理されるのかを知っていた
窓口のおばさんの親切だったのかも知れません。
特にどこを見学したわけでもなく
ただ列車に乗っていればよかった頃の記憶です。
よく考えると二泊夜行列車で、
風呂にも入った覚えもなく恐ろしいものです。
今実行したら発狂することでしょう。
一人で行ったのか家族で行ったのかは覚えていませんが
とにかく両親の実家に行き東京に帰る過程で
紀伊半島をまわって遠回りをしていきました。
写真も残っていませんし季節も思い出せません。
叔父に岐阜県の白鳥まで送ってもらい
越美南線(今の長良川鉄道)、太多線を経由して名古屋に出てました。
そこから紀勢本線で紀伊半島をぐるっとまわり、大阪の天王寺に着きました。
当時はなぜか憧れていた初めての大阪です。
新宮からは夜行の鈍行列車でした。
昭和58年までは「はやたま」という名称がついた寝台車まで連結した
不思議な鈍行列車でしたが、この時は座席車ばかりの編成でした。
覚えているのは新宮の駅で
当時新発売だったかた焼きそばの様な
カップめんの様なものを食べたこと
天王寺のホームで食べた立ち食いうどんがおいしかったことくらいです。
ここまで全部鈍行列車なのですが、国鉄に関しては全く切符を買った覚えがないので、
「青春18きっぷ」を使ったのだと思います。
どのように1枚か2枚だけ手にしたのかがわかりません。
兄が数枚使って残りをもらったのではないかと思います。
今は一枚の切符にスタンプを押していく形でしたが、
当時は5枚1冊の形式でしたからばらばらにしやすかったのです。
その後、鶴橋まで行き近鉄特急で名古屋に行きました。
このごろは毎月のように乗っている近鉄特急もこの時が初めてでした。
名古屋で半日くらいどこかで時間をつぶして
夜行高速バスのドリーム号で帰りました。
とっとと新幹線で帰ればいいのですが、
なにか惜しいという気持ちがあったのでしょう。
普通列車を乗り継ぐとか中央本線経由で帰るとか、
いろいろ思案した挙句の結論だった覚えがあります。
バスがダメだったら、大垣発の夜行鈍行列車で帰ろうとしていました。
切符は名古屋についてから買ったのですが、
最初満席ですと言われて困った顔をしていると
窓口のおばさんが「あっ一席だけあるよ」といって売ってくれました。
しかし指定された席にいってみると既に座っている人がいて、
車掌か運転手に話すとすぐ別の席に案内されました。
あれは重複して切符が発行された時に
どのように処理されるのかを知っていた
窓口のおばさんの親切だったのかも知れません。
特にどこを見学したわけでもなく
ただ列車に乗っていればよかった頃の記憶です。
よく考えると二泊夜行列車で、
風呂にも入った覚えもなく恐ろしいものです。
今実行したら発狂することでしょう。
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